金枝篇とか

そろそろ月一くらいで更新します。 昔よんだ、誰もよまなそうな本の書評とか。

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金枝篇関連の目次

初版金枝篇に関する、このブログ内の記事の目次です。

初版金枝篇まとめ
含みを持たされた部分を考えてみる - 初版金枝篇まとめ①
ネミの森の風習について - 初版金枝篇まとめ②
『森の王』について - 初版金枝篇まとめ③
王とタブーについて - 初版金枝篇まとめ④
神殺し - 初版金枝篇まとめ⑤
金枝 - 初版金枝篇まとめ⑥

初版金枝篇 レジュメ…というほどのものでもないですが。(未完)
第一章 森の王
第一節 アリキアの木立
第二節 太古の人間と超自然なるもの
第三節 人の姿を取った神々
第四節 樹木崇拝
第五節 古代の樹木崇拝
第二章 魂の危機
第一節 王と司祭のタブー
第二節 魂の本質
第三節 王と司祭のタブー
第三章 神殺し
第一節 聖なる王を殺すこと
第二節 樹木霊を殺すこと
第三節 死神を追放すること
第四節 アドニス
第五節 アッティス
第六節 オシリス
第七節 ディオニュソス
第八節 デメテルとプロセルピナ
以下未完

その他金枝篇がらみの雑学
金枝篇を読む前に知っておくといいかもしれないキリスト教の知識
ネミ湖とネミの森の場所
Wikipedia英語版の金枝篇三分の二くらい訳してみたんだけどさ・・・



  
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

ネミ湖とネミの森の場所

ネミ湖とネミの森

金枝篇の最初の問いかけの場所、ネミ湖をグーグルの衛星写真で見てみました。縮尺変えて左上を見ると、左上にローマがあります。20~30キロくらいかな。思いのほか近い。

ネミ湖の衛星写真:http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&ie=UTF8&ll=41.711688,12.705345&spn=0.028384,0.05785&t=k&om=1

この湖の上側(北岸)に、昔、ネミの森があったそうです。今はネミの村があるそうです。
写真で見ると、ネミ湖とネミの森は、ちょうど卵形というか雪だるま型に山と崖に囲まれています。頭の部分が昔はネミの森で、雪だるまの胴体が湖。この形は火口湖なのかな。
外界から隔離され、閉ざされた湖とその岸辺の森。ここで2000年の昔に森の王の儀式が行われていたんですね。

(金枝篇、7月1日までにまとめられなかった・・・。体調崩して眠ってたからだけど。)

7/5追記
ネミ湖ってどこかで聞いたことがあると思ったんだけど、紀元一世紀にローマ皇帝のカリグラが巨大な船を浮かべて舟遊びをしたとかいう湖だった。たしか1920年代、ムッソリーニの時代に、湖の水を汲み上げて、全長70メートル以上の船を2隻、ひきあげたとか。
カリグラ帝の時代ってことは、ミネの森の王の前で舟遊びに興じてた、っていうか、ディアナ神殿でのお祭りだったのかな。

(「ダイアン」って「女神ディアナ」だったんだね。翻訳ツール2回通したら、Nemus Dianae の訳が『ダイアンの森』だった。)

テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

金枝篇を読む前に知っておくといいかもしれないキリスト教の知識

最初に "金枝篇" のネタバレをひとつ。
初版金枝篇の訳者あとがきにも書かれていますが、この本は、暗に『キリスト教』と他の宗教を比較し、キリスト教の起源を『原始的』とされた未開人や古代の宗教の中から拾い集めたものであることを暗示しているようです。金枝篇とは、キリスト教の起源を未開社会や古代の宗教に求めたもの、控えめに言っても、キリスト教と他の宗教の共通点を提示した。

1890年当時、キリスト教と未開社会の宗教を同一線上に並べるようなこの試みは、ずいぶん大胆な試みだったようです。初版金枝篇では、スケープゴートの話の中でキリスト教に関する話が含まれていて、そのことによって大変な批判を受けたそうです、Wikipedia(英語版)によると。


Golden Bough - Wikipedia 2006/07/01 21:30 JPN より引用。訳は過去記事Wikipedia英語版の金枝篇三分の二くらい訳してみたんだけどさ・・・の『反響』の部分を参照してください。

The book scandalized the public upon its first publication, because it included the Christian story of Jesus in its comparative study, thus inviting an agnostic reading of the Lamb of God as a relic of a pagan religion. Frazer removed his analysis of the Crucifixion to a speculative appendix for the third edition, and it was entirely missing from the single-volume abridged edition.


このアイディアそのものが、当時のヨーロッパでは世界を揺るがしかねないタブーだったんですかね。


以下、金枝篇を読む前に知っておくといいかもしれないキリスト教の知識です。リンク先は原則日本語版のWikipediaです。

まずは、キリスト教。帝政ロー名時代に成立。

三位一体 (父なる神と子なるイエスと聖霊)
同じ神が、三つの表れ方をするそうです。

聖餐
パンをイエスの体として食べ、ワインをイエスの血として飲みます。『コリントの信徒への手紙一』(11:23-26)に由来するそうです。

キリストの死と復活(リンク先は救世主イエス・キリスト
キリストは磔の刑で殺され、三日後に復活した、とされているそうです。

贖罪(スケープゴート)
キリストは人々の罪を人々の代わりに受けて死んだそうです。

復活祭
キリストの復活を祝う祭り・・・だけれども、ゲルマン人の春を祝う祭りの要素も多いそうです。

知恵の樹(の実)・生命の樹(の実)のタブー(2006/7/13追加)

他にも、金枝篇には 処女懐胎 も出てきます。水をかけたり水に浸したりする 雨乞いの儀式 は 洗礼 のような気もします。
「王であるキリスト(メシア・キリストは、もともと「イスラエルを救う聖なる」)なんてのも重要かも。(2006/7/2追加)

僕のキリスト教の知識は付け焼刃なんで、見落としも多数あるかもしれません。
特に聖霊がよくわからない。在外の魂なのかな?

テーマ:交響詩篇 エウレカセブン - ジャンル:アニメ・コミック

初版金枝篇 第三章 第八節 デメテルとプロセルピナ

この節では、デメテルとプロセルピナというギリシアの女神を通して、同じ属性を持つ神が、親と子、二つの神で現される事例を扱っています。「母と娘」。

フレイザーによれば、麦には霊があり、その霊は収穫と共に捕らえられるか逃がされるか殺され、その霊は来年の麦に引き継がれるそうです。今年の収穫としてみる麦の霊は、「麦の母」とか「麦の老婆」などと呼ばれ、来年の種麦として考える麦の霊は「麦の娘」として、麦の霊が毎年引き渡されていきます。この穀物の霊は、「麦の束」と「人」の二つの形で表され、これがちょうど春の祭りで樹木霊が「樹木」と「人」の二つの形で表されていることに対応しているそうです。

でもって、フレイザーは、神話の生成過程において、都市では神話が発達して神の人格化が進むけれども、農村ではその変化についていけない。でも神話は発達し神は人格化してしまうので、以前の神が果たしていた「霊」の位置づけができなくなってしまう。そこで別の神が作られ、あてがわれるそうです。
デメテルとプロセルピナの場合には、デメテルが、悲しんだり喜んだりするような人格的というか神的な神様で、プロセルピナが死んで蘇る穀物霊的な神様なんですね。子供のほうが死んで蘇るんですね。

最後にディアナとウィルビウスの話が、少しとってつけたようにあります。



んー、だれてきたので、7月1日目標で、一回、初版金枝篇の内容をまとめてみます。



プロセルピナはデメテルの娘
夏に死に春に再生する
両方、麦の化身。同じ自然現象を神話的に反復したもの

神話:死者の国の王プルトンが金の馬車に乗って、嫁にするためにプロセルピナをさらった。デメテルが悲しみ探し回ったが見つからなかった。太陽から娘の情報を得て悲しみ作物を実らせなくなったが、

ゼウスがプロセルピナを連れ戻し再び実るようになる。プロセルピナは1年のうち半分(三分の一)を地下世界で、残りを地上ですごす。そのため地上では作物が実る季節と実らない季節がある。

デメテル:クレタ語由来、「大麦の母」

ドイツ:風が波のように麦畑を揺らす:「麦の母がやってきた」
子供が青いヤグルマソウや赤いケシを抜きたがると、「麦の中には麦の母が座っていてお前たちを捕まえるぞ」
「ライ麦の母」「エンドウの母」
ノルウェー、スラヴ人にも同様の風習
「麦の老婆」麦を踏み倒した子供を絞め殺す
リトアニア人「ライ麦畑に麦の老婆が座っている」
麦の老婆は穀物を実らせる

スティリア(オーストリア):最後に刈られた麦束に白衣を着せた女の人形であらわされる
畑を肥沃にするが、農場主に腹を立てると畑を全てからす

麦の母は畑に最後まで残っている一握りの麦穂の中にいる。刈って捕まえるか追放するか殺す。

最後の刈り束を「麦の母」という(収穫の母・大母・婆さん・おばあちゃん・老いた女・老いた男)
最後の刈り束を扱った人(刈った人など)が最後の仮束と同一さ知れる(老いた男、と呼ばれるなど)

最後の刈り束の中の穀物例を表す。

「老いた女」「乙女」「魔女」

ポーランド:最後の刈り束をBaba(老いた女の意味)とよぶ。最後に刈った者、運んだものもBabaとよぶ。刈り束から人形が作られ、「収穫の女」とよばれる。最高齢の刈り手と人形がダンスを踊る。

最後の刈り束が水につけられる事例が多数あり。雨乞い?

ブルガリア:最後の刈り束から作られた人形「麦の女王」「麦の母」

麦の霊:麦を刈る(脱穀する)と麦から逃げ出す
「母」「婆さん」とされる
刈られた最後の穂・穂で作られた人形・穀物霊を、母から切り離された子供とみなす例がある。「へその緒を切った」「私生児」「子供」「収穫の子ども」「麦の赤子」「百姓の赤子」「キヅタの娘(Ivy Girl)」「乙女」「処女」

最後の刈り束・穀物霊を、「花嫁」「燕麦の花嫁」「小麦の花嫁」「燕麦の妻・燕麦の夫」「燕麦の花嫁・燕麦の花婿」

春の風習との類似点
1.春の風習では、樹木霊が一本の樹とひとりの人の二つの形で表される。収穫時の風習では、穀物霊が最後の刈り束と、刈った人または脱穀した人の二つの形で表される。樹木と人、樹木と穀物は、同じ名前で呼ばれる。樹木や穀物と人間の年齢は対応している。
2.穀物や動物や人間を肥沃・多産にする力が樹木霊にも穀物霊にも備わっている

→ 春の風習と収穫の風習は同じ思考様式に基づいている

特徴:
1.儀式を行う特別な階級は無い(司祭階級は存在しない)。儀式は場合に応じ誰でも行うことが可能。
2.儀式を行う特別な場所は無い(寺院・神殿は存在しない)。儀式は場合に応じ何処でも行うことが可能。
3.神々ではなく霊が対象
 a.霊は、活動が特定の部門。名前が一般名詞であり固有名詞ではない。属性が個別的ではなく一般的


 b.神は、活動が特定の部門に限られない。固有名詞を持つ。個々の性格や来歴が神話や美術による表象であらわされる
4.儀式が、宥めの儀式ではなく呪術的儀式(物質的共感もしくは類似)。

→ 現在ヨーロッパの農民の春の風習・収穫の風習は、原始的なもの。

穀物をあらわす人形を翌年の収穫まで保管しておく→1年間穀物霊を生かしておく呪術
ペルーのインカ人:あらゆる有用な植物は聖なる存在によって命を吹き込まれ生長を促される「トウモロコシの母」「カカオの母」など。
「トウモロコシの母」トウモロコシの束。1年間の具合を尋ねられ、1年持たないならば殺され?、次の束を用意される。

他の国の例:ボルネオのダヤク族・ジャワのマレー人

デメテルとプロセルピナ:ギリシャにもかつて、近代ヨーロッパの農民と同様な習慣があり、単純な慣

習や信仰から成長してきたものであろう。
デメテルの原型:収穫期の母
プロセルピナの原型:収穫期の乙女
(奇特が都市で残されたため、農村の慣習や儀礼は残らなかったのではないか。稀に記録に残ることもある。)

穀物霊を「母」と「娘」の両方で表現
 → デメテルとプロセルピナ(麦の二重の人格化)
デメテル:その年の熟した麦
プロセルピナ:そこからとられた種麦
冥界に下る→種まきの神秘的表現
春に再来→若い芽が生えてくる神話的表現
神話生成過程で、1年生きて後継者を生む存在が規則的に継承される
→ 一方は毎年消えて毎年生成する。もう一方は悲しむか喜ぶか(だけ)の役割に変化

穀物霊
a.穀物に内在する(穀物=穀物霊)。近代ヨーロッパの農民は主に内在
b.穀物に外在する(穀物を通り抜ける・恨みを抱いた相手の穀物を刈らす場合)ギリシャ神話はどちらかというと外在
  →外在する穀物霊は、後に神になるもと。神人同系同性論(アンスロフォモーフィズム)
  野蛮状態から抜け出す→霊(神)の擬人化が進む→霊(神)が自然物から離れていく→自然物内の

生命(霊)が抜ける→別の霊が生成され、新しい心的存在の生成。(古い霊と新しい霊)。
「古い霊が新しい霊を生んだ」として整合性を保つ
神の二重化の推測

オシリスとイシスも二重化
ディアナ(古い樹木霊)、ウィルビウス(新しい樹木霊)ではないか

初版金枝篇 第三章 第七節 ディオニュソス

……一応、僕の書いてる金枝篇カテゴリは、エウレカセブンってアニメ見て金枝篇に興味持った人が見てくれることを考えて書いてます、内容ほとんど関係ないんだけど、一応。

この説では、ギリシアの樹木神・ブドウの木の神であるディオニュソスを通して、神の『受難と死』、『復活』『魂の不死』を描いています。そしてまた、儀式において神を殺し、神の肉をたべ、神の血を飲む事を書いています。こういう文化が、キリスト生誕以前からギリシャ・東地中海にあったんだそうです。

また、神に捧げられる(神が食べる)生贄は神そのもの、なんて事も書いてあります。なんとなく、最近話題のユダの福音書を髣髴とさせる 第三章 第七節でした。




ギリシアの神 ディオニュソス(バッコス)
ブドウの木の神・樹木一般の神・栽培された樹木の守護者・樹木の育成を祈祷される・すべての果樹を発見したもの。・自ら農作業を行う

ギリシア人は「木であるデュオニュソス」に生贄を捧げた
信者は主に農夫。果樹園の農夫は木の切り株をデュオニュソスとして果樹園の中におく。

「木の中のデュオニュソス」
ディオニュソスを表す木:直立した柱/腕はない/マントに覆われている/髭を生やした顔/頭部もしくは胴から葉の茂る枝を突き出す

ディオニュソスを形容する言葉
「実り多き」もの、「緑の果実の男」、「果実を育てる」「豊富な」「迸る・ほころびる」「花咲き誇るディオニュソス」

リンゴとイチジクに言及が多い
ブドウの木・松の木が献じられる。
ツギタ・イチジクと関係が深い
デルフォイの信託はコリントス人に松の木を神と同等に扱うように求める
アッティカのアルカイナ 「ディオニュソスのツギタ」
ラケダイモン(スパルタ)「イチジクのディオニュソス」
など

非業の死・再び蘇った。受難と死と復活
クレタ王ユピテル(ゼウス)の庶子。
ユピテルが旅に出る際に幼くして王座と笏を渡され、護衛の手に預けた。
妻ユノ(ヘラ)が護衛を買収し、ユノの従者ティターン族のいる場所に誘い出し、ティターン族はディオニュソスの四肢をばらばらにして遺体を薬草に煮込んで食べた。
この行いに加担していた姉ミネルヴァ(アテナ)は心臓を持ち出し帰還したユピテルに全容を打ち明けた。
ユピテルはティタン族を拷問にかけて処刑。
悲しみを沈めるために像を作りその中に心臓を収めディオニュソスを祭る神殿を建てた。
ディオニュソスの血からザクロが生えた
切断された四肢はアポロンがつなぎあわせパルナッソス山に埋葬した神話もある。

別の物語
デメテルの息子。デメテルが切り刻まれた体を継ぎ合わせ若者の姿に戻した。
埋葬後蘇り天に昇った。
致命傷を受け横たわっているところをゼウスが引き上げた
ゼウスがディオニュソスの心臓を飲み込み、今一度セメレによって新たに生み出した。
(セメレは、一般の伝説ではディオニュソスの母)

儀式
クレタで二年に一回。
ディオニュソスの『受難と死』が詳細に再現
復活が神話の一部となっている地域では復活も儀式において再現された。
『復活・不死』に関する教義が崇拝者たちに熱心に教え込まれた
プルタルコス-娘の死に際しディオニュソスの密議の中の『魂の不死』という考えで妻を慰める手紙
ディオニュソスは母セメレを連れ戻すためハデスの元に下る

アルゴス地方-アルキュオネの湖(下界)からの帰還を祝う。ラッパを吹いてディオニュソスを呼び出し、子羊を湖に投げ込んで死者たちの番人への捧げ物とする

リュディア人
春にディオニュソスの到来を祝った。ディオニュソスの到来=春の到来

植物神 一定期間を下界で過ごす 下界(死者の世界)の神々とみなされる


ディオニュソス:去勢されていない牡牛・牡牛の角を生やした姿であらわされる
ディオニュソスの祭祀の普遍の特徴 - 生きた牡牛と子牛を裂きむさぼり食う
 ディオニュソスの崇拝者は、儀式において以下のように考えていたはず
   神を殺し、神の肉をたべ、神の血を飲む。
ディオニュソス:山羊(子山羊・Kid)
※神を動物として殺す習慣

時代が下ると、神の動物的/植物的外皮がはがされ人間属性だけとどめる
→動植物は、あいまいで理解されがたいつながりを残す
→説明するための物語が捻出される
  動物が惜しまれる←神への奉仕
  動物が殺される←神への危害
ディオニュソスにたいして山羊を生贄にささげる←山羊はブドウの木に危害を加えた

神が特定の動物を食すると語られる場合、この動物は神自身にほかならない
(ディオニュソスの生贄は人間の場合もあった、人間ではなかったかもしれないが)

なぜ、植物神が動物で語られるか → 次節に続く

テーマ:交響詩篇 エウレカセブン - ジャンル:アニメ・コミック

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