金枝篇とか

そろそろ月一くらいで更新します。 昔よんだ、誰もよまなそうな本の書評とか。

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初版金枝篇 第三章 第三節 死神を追放すること

この節では、メイポールとか謝肉祭とか死神追放のときに行われる風習には、「死と復活」という概念が含まれている、との事みたいです。キリスト教の復活祭の前に、神殺し・神の追放を行ってる事を書きたかったのかもしれません。(謝肉祭の後40日後はキリスト教の「復活祭(イースター)」。死神追放の"死の日曜日"は、謝肉祭とイースターの間にある、死の日曜日(四旬節の第4日曜日)です。)

あと、この 第三章 第三節 には、「告解火曜日(Shrove Tuesday)」「灰の水曜日(Ash Wednesday)」「死の日曜日(Jerusalem Sunday)」なんて曜日が出てきました。「Blue Monday」 は無かったけど。



話の流れはこんな感じかな。(今回、手抜きです。)


・樹木崇拝は、神々が主に動物である猟師と羊飼いの宗教と、主に栽培される植物が主要な位置を占める農夫の宗教の、中間に位置するものと推測される。
 殺される神が動物 → 狩猟・牧畜の段階で神殺しと復活の風習・信仰が発生・存在
 殺される神が穀物・穀物を象徴する人間 → 風習は農耕の段階に残っていた
 (→穀物で表象している)

ヨーロッパの農民の、神的存在・超自然的存在の擬態的死が特徴の春の慣例行事が、既に述べたもの(メイポール?)意外に二つある。
 ・謝肉祭の埋葬(告解火曜日(Shrove Tuesday, Shrovetide)か、灰の水曜日(Ash Wednesday)に行われる)
  以前の記述を参照。「告会三ヶ日の熊(藁人形)」や「謝肉祭(藁人形)」が死刑になり、埋葬される、など
  死んだふりをした人間が復活する行事もあり。 
・死神の追放(死の日曜日(Jerusalem Sunday)前後に行われる)
  藁などで作成した死神を、水死、あるいは燃やす。
   「死神追放」の後は、夏や春や生命の訪れを祝う儀式が行われる、あるいは夏や春や生命の訪れが宣言される。
  (グリム童話「老いた女を鋸で挽く」も、死神の追放が形を変えた風習)
  死神の像そのものに、生命の新たな力が着せられ、再生のきっかけなになる事もある。
  →死神には生命を与え活気づかせる力もあり。夏の木。夏をもたらす。五月の木・五月の貴婦人との類似。「死神の追放と夏の呼び入れ」も野人殺しと野人復活と同じ死と蘇生。同じ概念を表す。
  
時期や季節(「謝肉祭」「夏」)、死のような抽象概念の擬人化は太鼓のものとは考えられない(近年のものではないか)。
植物という一般的な概念は、季節と混同される。「夏」「春」「五月」が樹木霊や植物霊の代表になる。
死にかかっている植物・死んだ植物を再生の準備として運び出す変わりに、死(Death = 死神)を運び出す。

ロシアでは、「死神の追放」「謝肉祭の埋葬」に似た儀式が、神話的存在に対して、春と夏、両方行われる。


これらには、復活に先立つ「死」と「復活」という、古く、具体的な概念が潜んでいる。

死神追放には、「死と悲しみ・死者への愛情と尊敬」と、「死者への恐怖と憎悪・死神が死んだことに対する喜び」の、表面上相反する二つの特徴がある。

死神もしくは神話的存在ので追放される人は、目に見える人で表象されないこともある

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初版金枝篇 第三章 第二節 樹木霊を殺すこと

スレッドテーマと内容、あんまり関係ないよなぁ。

この第二節は、わずか15ページと短いです。内容も前節のおまけみたいで、

・樹木霊(王)を殺す祭りとかは北ヨーロッパ(ボヘミア近郊)にあるよ。
・必ず逃亡が含まれてる。逃亡できれば王位継続。失敗したら殺される。
・その後生き返る事例もあり、魂の引継ぎと思われる。

なぜだか生贄について、補足説明されています。
現在、ヨーロッパで擬似的に人間を生贄を捧げるような儀礼・祭りがあるけど、昔は実際に生贄を捧げてたんだよ(参考文献は、カエサルのガリア戦記)それが擬似的になったんだよ。同じような事例はヨーロッパ以外のほかの地域にもあるねっ。みたいな事がかかれてます。

日本でも『人柱』っていう怖い言い伝え?慣習?があったはず。『柱』は神様を数える際の単位。ネミの森の王と少し似てますかね。あ、エウレカセブンのエウレカ、最終話であわや人身御供でしたか。


以下、第二節の話の流れ


森の王(人間神)の魂を老齢から来る衰えから守るために、年老い活力が衰える前に魂を新しい肉体・適切な後継者に移し変えた野ではないか。
・衰えを防ぎ、魂を適切に移し変えるためには、王は老衰により死ぬより前に非業の死を迎えることになる。
・ただし、殺されない限り、前王(の肉体)は活力が衰えていないとみなされる。殺されるのは衰えたとき。

・北ヨーロッパでは、樹木霊を表象する人を定期的に殺す風習があった。おそらく森の王もかつては定期的に殺されていたのではないか。

バイエルン・ボヘミアなどの例。
 ・新でよみがえる例がある
 ・逃げ切れれば地位が継続する例がある

・というように、北ヨーロッパの人物と森の王(ネミの祭司)と共通点が多い。
 -逃亡
 -一定期間後、あるいは衰えると殺される
 -医者によって息を吹き返す

・殺す行為が"擬似的に"行われるのは、古代に実際に行われた風習の代用措置として。ケルト人・チュートン人・スラヴ人などは昔は実際に殺す習慣があった。
・ヨーロッパ以外の地域でも、実際に生贄の人物を殺した習慣が代用措置に変わる事例あり。
・像など偽の生贄が捧げられる事例もあり。

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第三章 神殺し 第一節 聖なる王を殺すこと

この第三章第一節は、『神殺し概論① 蛮人は人間神である王が衰えると神の魂も衰えるので元気なうちに殺して、神の魂を壮健な人間に移しました。』という話です。

王(人間神)は数々のタブーに守られているけれども、老・病・死 を免れることはできない。王の魂をつつがなく引き継がせるために、王を殺して次の王に魂を引き継がせる、という話のはずです。

この節には自殺や殺人と取れる事例が数多く並んでいて、一般的な道徳観から外れているようにみえるし、俄かに信じがたい話も多いです。いや、最近は尊厳死を認める国もあるし、そうでも無いのかな。

王の息子を生贄にすることを「王殺しを、王の変わりに王の身近なものにした」とする点があったのですが、この点は少々無理があるかな、って気もします。ただ、セム族の事例を出したかったんでしょうね。セム族にはユダヤ人が含まれ、ユダヤ人にはイエス・キリストが含まれますから。

そういえば日本にも、人間神が魂を引き継ぐ儀礼として、天皇即位時の儀礼の「大嘗祭」がありますね。






神も死ぬ。(神の墓もある。)
人の肉体や血液に住む神も死ぬ。

自然の成り行き(自分の安全・この世の存続)は人間新の生命にかかっている、と考える場合あり。
人間神の生命維持に最大限の配慮
人間神も、老化、衰弱、死 → 破局
体の衰え → 魂も衰える
人間神の力が衰え始めたらすぐに殺し、強壮な後継者に移しかえる。

老齢・病により魂が衰えた後に死ぬより非業の死を求める事例は数多くあり。

人間神の死→世界の死滅・大地の消滅(コンゴの例)
王を殺す契機
老い・衰えると殺す
身体的欠陥があると殺す
定期的に殺す・死ぬ
定期的にイベント、殺されなければ次回まで生きる

擬似的に王を殺す?
体の欠損:死→家臣も同じに
仮の王(犯罪者・死に逝く神の表象)が立てられ殺される
年のうち一定期間仮の王が立てられる
王の即位に際し仮の王が立てられる

(カンボジア・シャムの例)
  仮の王の機能は神聖な機能・超自然的な機能
  仮の王は王家の者

セム族:王の代わりに王の息子を生贄にささげる

神聖な人物を殺す→魂が後継者に移る
死にゆ王の口から魂を受け取る(魂は引き継がれる)

初版金枝篇 第二章 第三節 王と司祭のタブー

結局のところ、われわれが真実と呼ぶものは、最も効果的に機能することの判明した、ひとつの仮説に過ぎないのである。それゆえ、われわれより野蛮な時代と民族の、意見や慣習を検討する際には、彼らの誤りを、真実の探求の途上では避けがたかった躓きとして、寛大に見据えるのがよい。そしてわれわれもまた、いつの日か自らに必要となるであろう寛大さという恩恵を、今は彼らに与えておくのがよいのである。Cum excusatione itaque veteres audiendi sunt. 〔そして理性をもってして、古人の声を聞け。〕(P276-277からの引用)

この章の結論はこんな感じです。「蛮人」「未開社会」などと記述しつつも、そのような人々や社会に積極的に意義を表す。一見理解不能な古代や未開の人々の慣習を積極的に評価し、そこから自分達の理解へとつなげていこうとする姿勢が19世紀末のイギリスには新しかったんでしょうね、きっと。現代日本人はこの考えを理解できてるんですかね。

この節では、数々の事例を並べながら、
『蛮人の習慣・王に対するタブーなどは、蛮人の魂に対する考え方(前提)から導き出された合理的なものだった。前提が間違っていたけれども。』って、積極的に蛮人を評価しています。それと同時に ワイン = 血 = 魂 というように、キリスト教の聖餐につながりそうな伏線が張られています。

ちなみに、この章の話の流れはこんな感じでした。


魂についての原始的な考え方・魂の危機は、王にも当てはまる。
個々人の規則と王のタブーのいくつかは一致する。
初期の王の生命は厳格なおきてによって管理されていた
 → 掟は王の生命を守るための防衛手段

蛮人は呪術と妖術を最も恐れる

異邦人・旅行者に儀式を行い破壊的霊気を取り払う・汚染された霊気を取り払う。
・住民を守るために、異邦人が来ると儀式を行う。
・また、住民が旅行から戻ると清めの儀式を行う。

同種の危機から王を守るために特別な手段を講じる。
・王は特定の物に触れたり見てはいけない。
・飲食時を見られてはいけない。
・生涯宮殿を出てはいけない。

王は祝福の源であると同時に危険の源でもある
神なる人間である王の食べ残しや食器に使った皿を通して魔術による危害が加えられる。
・ミカドの使用した食器を使うと腫れ上がり燃え上がる
・酋長の食べ残しを食べると死ぬ

神聖と穢れの概念は蛮人の精神においては分化していない。どちらも霊的・超自然的に危険人物、危機的な状況である。
・神聖・穢れ・産褥は同じように扱われる
・死体に触れた穢れの際のタブーと酋長に関して守られているタブーは同じもの

鉄(新しいもの)に対する嫌悪
・宗教の領域で強烈になる
・鉄に対し王や祭司が迷信的嫌悪感を抱く→嫌悪感が神々に帰せられる
・また、鉄が危険な霊への護符になる

タブー:一般的な規則が特定の状況下で特殊な強さを帯びたもの
 魂は血の中に宿る → 殺されたものの家族は生肉に触れてはいけない
 王家の者の血を地に零してはならない
 処刑は窒息または絞首

魂は血の中に宿る
・部族民の血を地に流すことの禁止は酋長や王にとりわけ厳しく適用される

フラメン・ディアリスは葡萄の木の下を歩いてはいけない
・葡萄の果汁は葡萄の血液、葡萄の木の魂
  異常な精神状態-憑依もしくは霊感
・ブドウ酒 赤い果汁-血液 酔わせる-霊感を与える
  ブドウ酒を飲む=動物の血を飲む

自分の頭に触られること・頭の上に誰かがいることを無礼とみなす。頭が神聖。

頭が神聖:髪を切ることも注意
・頭の霊を侵害
・髪の処理(頭との共感的なつながり)道央に爪の処理
 危害に会わないよう安全な場所にしまう。
 肉体の復活のために切られた髪と爪が保存される
 髪-危険な力に汚染されている
 髪を切る-浄化や殺菌の儀式

食物に関するタブー
 フラメン・ディアリス食べるだけでなく、名指すことも禁止、など

人間神(王・司祭)の扱い
・野蛮もしくは未開社会では迷信によって自然全般の成り行きに影響力を持つ人間(人間神)が見出される。
・人間神はこの神性ゆえに、自然界の現象を秩序正しく連続させるための誓約・保証となる。
・人間神の健康・生命は、人々の幸福・命と結びつく重要事項。そのため人間神は人々に従うよう求められる。

タブー・掟について
・未開人の見解では、その地で自らが生きながらえるために守らねばらならない一般原則。
・人間神の場合、高位からの追放・死によって罰則によって守らされる。
・現代の(ヨーロッパの)農家に引き継がれている。

人間神はタブーに絡めとられ、死か廃位で開放

古代人の論理性
王・司祭の生活は古代の英知の一切が要約。完璧な生活様式。未開社会内での論理的整合性を備えている。
魂が人間の内部に存在-からスタートした、辻褄の合う実用的な、完璧で調和の取れた体系。
ただし、前提条件(生命の本質に関する概念)が間違っている。


まとめ
現在、民族が持っている概念は独創的・直感的なものではなく、蛮人の時代から、経験によって獲得し、代々の継承によって伝えてくれたもの。先祖の誤りは単に仮説であったこと。検証を続け、誤りを排除して真実が導きだされる。

結局のところ、われわれが真実と呼ぶものは、最も効果的に機能することの判明した、ひとつの仮説に過ぎないのである。それゆえ、われわれより野蛮な時代と民族の、意見や慣習を検討する際には、彼らの誤りを、真実の探求の途上では避けがたかった躓きとして、寛大に見据えるのがよい。そしてわれわれもまた、いつの日か自らに必要となるであろう寛大さという恩恵を、今は彼らに与えておくのがよいのである。Cum excusatione itaque veteres audiendi sunt. 〔そして理性をもってして、古人の声を聞け。〕(P276-277からの引用)

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初版金枝篇 第二章 第二節 魂の本質

この節は、次の節「第三節 王と司祭のタブー(承前)」のための事前説明です。次の節で「王と司祭のタブー(魂の守り方)」を説明するために、この節で「魂を守ることが命を守ること」って説明をしています。

この節の概要は
『・蛮人は、魂が体の中に存在すると信じている。
 ・魂は鼻や口から抜けることがある。
 ・魂が一時的に抜けると睡眠、永続的に抜けると死。
 ・魂を人為的に肉体に帰れなくすると相手を殺せる。魔術師・妖術師は魂を操作する。
 ・また、鏡像・影・肖像画・写真は魂ないし魂に類するものを操作できる。』。

また、例によってヨーロッパ人であろうとも「原始的」扱いです。最初に「キリスト教の宣教師」も人の体の中には魂が存在すると考えていて、また現代(19世紀末)のヨーロッパ・イギリスにもそう考えている人がいる。
次の節のの冒頭で、『この原始的な考え方・・・中略・・・は世界中に見出せる』とかかれています。

(次の節に)つづく。


あ、蝶の話が少しあった。
ビルマ人は、母親とか友達が死ぬと、子供の魂が蝶の姿になって追いかける、その魂を連れ戻さないと子供が死ぬと考えたそうです。

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