金枝篇とか

そろそろ月一くらいで更新します。 昔よんだ、誰もよまなそうな本の書評とか。

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ローマ人にとっての『神々』について

以下、塩野七生の『ローマ人の物語ⅩⅠ 終わりの始まり』を読んでないとよくわからないし、読んでてもよくわからないと思う。内容も保証しませんのであしからず。



『ローマ人の物語ⅩⅠ 終わりの始まり』を読んで、ローマの神々とキリスト教に関する記述が少し気持ち悪かった。

ローマ人(あるいはギリシャ人)にとって、人間の感情や心の変化は、人間の内側から湧き出るものではなく、外側からの力、神々の影響によって変わるものだった。そういうルールになってたと思う。たとえば自分の感情が変わるとき、受動態で表現された。たとえば、「変わる」ではなくて「変えられる」、神様によって変えられるというように書かれたと思う。愛だの恋だのは神様の影響だし、儀式上で酒を飲んで精神状態が変わる事が神と一体化することを意味した(ようなことが金枝篇にも書かれています)。

数多くの神々の中にいる、さまざまな神を受け入れることで、人々を受け入れると同時に文化を受け入れ、精神を受け入れる。さまざまな神がいることが、古代ローマ人の精神の自由だった。
だから "宗教"(religion)の語源が「再び結びつける」という意味の "religio" であり、"religio" が神と人を再び結びつけることと理解されたんでしょう。(Wikipedia参照。Wikipediaから、さらに参照できます。)

この、「神とは人間の精神に影響を与えるもの」って感覚が、日本人(少なくとも僕)にはない感覚で、だけどこの感覚がないと、ローマの神とかキリスト教の愛とか悪魔とかが理解できないと思う。まあ、どうでもいいか。
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