金枝篇とか

そろそろ月一くらいで更新します。 昔よんだ、誰もよまなそうな本の書評とか。

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初版金枝篇 第二章 第三節 王と司祭のタブー

結局のところ、われわれが真実と呼ぶものは、最も効果的に機能することの判明した、ひとつの仮説に過ぎないのである。それゆえ、われわれより野蛮な時代と民族の、意見や慣習を検討する際には、彼らの誤りを、真実の探求の途上では避けがたかった躓きとして、寛大に見据えるのがよい。そしてわれわれもまた、いつの日か自らに必要となるであろう寛大さという恩恵を、今は彼らに与えておくのがよいのである。Cum excusatione itaque veteres audiendi sunt. 〔そして理性をもってして、古人の声を聞け。〕(P276-277からの引用)

この章の結論はこんな感じです。「蛮人」「未開社会」などと記述しつつも、そのような人々や社会に積極的に意義を表す。一見理解不能な古代や未開の人々の慣習を積極的に評価し、そこから自分達の理解へとつなげていこうとする姿勢が19世紀末のイギリスには新しかったんでしょうね、きっと。現代日本人はこの考えを理解できてるんですかね。

この節では、数々の事例を並べながら、
『蛮人の習慣・王に対するタブーなどは、蛮人の魂に対する考え方(前提)から導き出された合理的なものだった。前提が間違っていたけれども。』って、積極的に蛮人を評価しています。それと同時に ワイン = 血 = 魂 というように、キリスト教の聖餐につながりそうな伏線が張られています。

ちなみに、この章の話の流れはこんな感じでした。


魂についての原始的な考え方・魂の危機は、王にも当てはまる。
個々人の規則と王のタブーのいくつかは一致する。
初期の王の生命は厳格なおきてによって管理されていた
 → 掟は王の生命を守るための防衛手段

蛮人は呪術と妖術を最も恐れる

異邦人・旅行者に儀式を行い破壊的霊気を取り払う・汚染された霊気を取り払う。
・住民を守るために、異邦人が来ると儀式を行う。
・また、住民が旅行から戻ると清めの儀式を行う。

同種の危機から王を守るために特別な手段を講じる。
・王は特定の物に触れたり見てはいけない。
・飲食時を見られてはいけない。
・生涯宮殿を出てはいけない。

王は祝福の源であると同時に危険の源でもある
神なる人間である王の食べ残しや食器に使った皿を通して魔術による危害が加えられる。
・ミカドの使用した食器を使うと腫れ上がり燃え上がる
・酋長の食べ残しを食べると死ぬ

神聖と穢れの概念は蛮人の精神においては分化していない。どちらも霊的・超自然的に危険人物、危機的な状況である。
・神聖・穢れ・産褥は同じように扱われる
・死体に触れた穢れの際のタブーと酋長に関して守られているタブーは同じもの

鉄(新しいもの)に対する嫌悪
・宗教の領域で強烈になる
・鉄に対し王や祭司が迷信的嫌悪感を抱く→嫌悪感が神々に帰せられる
・また、鉄が危険な霊への護符になる

タブー:一般的な規則が特定の状況下で特殊な強さを帯びたもの
 魂は血の中に宿る → 殺されたものの家族は生肉に触れてはいけない
 王家の者の血を地に零してはならない
 処刑は窒息または絞首

魂は血の中に宿る
・部族民の血を地に流すことの禁止は酋長や王にとりわけ厳しく適用される

フラメン・ディアリスは葡萄の木の下を歩いてはいけない
・葡萄の果汁は葡萄の血液、葡萄の木の魂
  異常な精神状態-憑依もしくは霊感
・ブドウ酒 赤い果汁-血液 酔わせる-霊感を与える
  ブドウ酒を飲む=動物の血を飲む

自分の頭に触られること・頭の上に誰かがいることを無礼とみなす。頭が神聖。

頭が神聖:髪を切ることも注意
・頭の霊を侵害
・髪の処理(頭との共感的なつながり)道央に爪の処理
 危害に会わないよう安全な場所にしまう。
 肉体の復活のために切られた髪と爪が保存される
 髪-危険な力に汚染されている
 髪を切る-浄化や殺菌の儀式

食物に関するタブー
 フラメン・ディアリス食べるだけでなく、名指すことも禁止、など

人間神(王・司祭)の扱い
・野蛮もしくは未開社会では迷信によって自然全般の成り行きに影響力を持つ人間(人間神)が見出される。
・人間神はこの神性ゆえに、自然界の現象を秩序正しく連続させるための誓約・保証となる。
・人間神の健康・生命は、人々の幸福・命と結びつく重要事項。そのため人間神は人々に従うよう求められる。

タブー・掟について
・未開人の見解では、その地で自らが生きながらえるために守らねばらならない一般原則。
・人間神の場合、高位からの追放・死によって罰則によって守らされる。
・現代の(ヨーロッパの)農家に引き継がれている。

人間神はタブーに絡めとられ、死か廃位で開放

古代人の論理性
王・司祭の生活は古代の英知の一切が要約。完璧な生活様式。未開社会内での論理的整合性を備えている。
魂が人間の内部に存在-からスタートした、辻褄の合う実用的な、完璧で調和の取れた体系。
ただし、前提条件(生命の本質に関する概念)が間違っている。


まとめ
現在、民族が持っている概念は独創的・直感的なものではなく、蛮人の時代から、経験によって獲得し、代々の継承によって伝えてくれたもの。先祖の誤りは単に仮説であったこと。検証を続け、誤りを排除して真実が導きだされる。

結局のところ、われわれが真実と呼ぶものは、最も効果的に機能することの判明した、ひとつの仮説に過ぎないのである。それゆえ、われわれより野蛮な時代と民族の、意見や慣習を検討する際には、彼らの誤りを、真実の探求の途上では避けがたかった躓きとして、寛大に見据えるのがよい。そしてわれわれもまた、いつの日か自らに必要となるであろう寛大さという恩恵を、今は彼らに与えておくのがよいのである。Cum excusatione itaque veteres audiendi sunt. 〔そして理性をもってして、古人の声を聞け。〕(P276-277からの引用)
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