金枝篇とか

そろそろ月一くらいで更新します。 昔よんだ、誰もよまなそうな本の書評とか。

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第三章 神殺し 第一節 聖なる王を殺すこと

この第三章第一節は、『神殺し概論① 蛮人は人間神である王が衰えると神の魂も衰えるので元気なうちに殺して、神の魂を壮健な人間に移しました。』という話です。

王(人間神)は数々のタブーに守られているけれども、老・病・死 を免れることはできない。王の魂をつつがなく引き継がせるために、王を殺して次の王に魂を引き継がせる、という話のはずです。

この節には自殺や殺人と取れる事例が数多く並んでいて、一般的な道徳観から外れているようにみえるし、俄かに信じがたい話も多いです。いや、最近は尊厳死を認める国もあるし、そうでも無いのかな。

王の息子を生贄にすることを「王殺しを、王の変わりに王の身近なものにした」とする点があったのですが、この点は少々無理があるかな、って気もします。ただ、セム族の事例を出したかったんでしょうね。セム族にはユダヤ人が含まれ、ユダヤ人にはイエス・キリストが含まれますから。

そういえば日本にも、人間神が魂を引き継ぐ儀礼として、天皇即位時の儀礼の「大嘗祭」がありますね。






神も死ぬ。(神の墓もある。)
人の肉体や血液に住む神も死ぬ。

自然の成り行き(自分の安全・この世の存続)は人間新の生命にかかっている、と考える場合あり。
人間神の生命維持に最大限の配慮
人間神も、老化、衰弱、死 → 破局
体の衰え → 魂も衰える
人間神の力が衰え始めたらすぐに殺し、強壮な後継者に移しかえる。

老齢・病により魂が衰えた後に死ぬより非業の死を求める事例は数多くあり。

人間神の死→世界の死滅・大地の消滅(コンゴの例)
王を殺す契機
老い・衰えると殺す
身体的欠陥があると殺す
定期的に殺す・死ぬ
定期的にイベント、殺されなければ次回まで生きる

擬似的に王を殺す?
体の欠損:死→家臣も同じに
仮の王(犯罪者・死に逝く神の表象)が立てられ殺される
年のうち一定期間仮の王が立てられる
王の即位に際し仮の王が立てられる

(カンボジア・シャムの例)
  仮の王の機能は神聖な機能・超自然的な機能
  仮の王は王家の者

セム族:王の代わりに王の息子を生贄にささげる

神聖な人物を殺す→魂が後継者に移る
死にゆ王の口から魂を受け取る(魂は引き継がれる)

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コメント

仮の王といえば

金枝篇の仮の王にはバビロニアの儀式についての記述がありますがそれについてはいかがですか?
罪人を祭りの間仮の王に仕立てて、祭りが終わると服をはがし、鞭打ち、磔にするのです。

「ユダヤ人の王」と呼ばれ、服を剥がされて、鞭打たれ、磔にされたイエス・キリストはそのまんまではないかと思いますが。

  • 2007/03/13(火) 15:25:29 |
  • URL |
  • あや #K3R52T8M
  • [ 編集 ]

たしかに…

キリスト教の起源についてですよね。

この部分の注釈(第3章1節(33))を見ると、
"この風習は、ペルシアがバビロンを支配していた以前に遡ることはない。だがおそらくは古いものであったろう。"
などはバビロン捕囚との絡みを匂わせていますし、
"~は、「吊るされた」ではなく、「磔刑に処せられた」(もしくは「刺し貫かれた」)と訳すべきである。"
などと、わざわざ「磔」であることを強調してますね。

指摘の通りだ。何で気がつかなかったんだろ。

  • 2007/03/14(水) 08:58:07 |
  • URL |
  • it73 #-
  • [ 編集 ]

御返事ありがとうございます。

キリストの贖罪の起原は旧約聖書の詩篇を元としていると言われていますが、
この記述を読んで実際はバビロニアの風習から続く儀式の一つであったのだと私は納得しました。
ちなみにロウスの月とは7月から8月のようです。
夏至の祭だったのでしょうか。

  • 2007/03/16(金) 11:13:51 |
  • URL |
  • あや #HfMzn2gY
  • [ 編集 ]

追加です

ロウスの月(マケドニア暦)とはギリシャのヘカトンバイオンの月でギリシア暦の第1月を表すそうです。
そして過越祭が行なわれるニサンの月はバビロニア暦の第1月。

太陽暦では一致しませんがいずれも年の初めの儀式であり、サカイアとイエスの磔はやはり同じ儀式とみてよろしいのではないかと思います。

  • 2007/03/16(金) 11:30:35 |
  • URL |
  • あや #SN0FK.Ac
  • [ 編集 ]

このあたりは扱いが難しいですね

あやさんどうも。
『贖罪の起原』となると扱いが難しいです。贖罪と言うからには何らかの罪があることが前提で、バビロニアの儀式にそういう意味合いがあったのかはわかりませんし、起源が古いと言うのはあくまでフレイザーの推測、記録を残したディオン・クリュソストモスも紀元後の人物のようで、どこまで記述が信用できるのか(僕には)判別できないです。

ただ、フレイザーが、キリストの磔と同じよう儀式が、バビロニアにあったと匂わせたいのは確実のようですね。それと、バビロニアの儀式の話が事実かどうかはともかく、キリストの磔と酷似したバビロニアの話が、キリスト教が広まりつつある紀元後の地中海世界に知られていたのも間違い無いのでしょう。

  • 2007/03/18(日) 22:19:35 |
  • URL |
  • it73 #-
  • [ 編集 ]

なるほど

そういう考え方もありますね。
オリジナルであるといわれる
ベロッソスのバビロニア史をぜひ確認したいところですが
日本語訳はないようですね。残念

  • 2007/03/24(土) 23:18:41 |
  • URL |
  • あや #1l7SiYsE
  • [ 編集 ]

べロッソスの完全な資料は無いみたいですね

Wikipedia(英語)で見ただけですけど。
http://en.wikipedia.org/wiki/Berossus

べロッソスの記録は、他の人の引用に含まれてた分と本の断片があるだけみたいですね。でも、けっこういろいろ引用されてるみたいです。べロッソスの記録には洪水伝説があるとか神話はメソポタミア神話と違いがあるとか、神話から歴史に関する記述(内容ではなく構成)がヘシオドスやヘロドトスやヘブライ語聖書に良く似てる(マネした?古代人共通の考え方?)。

フレイザーは、『キリスト教って言うのは、東地中海~メソポタミアに広がるいろんな宗教・信仰を、意味づけし整合性をとりながらキリスト教と言う一神教の形にまとめたもの、なんじゃないかなー』って事を書いててると思うんですけど、ぼくはこの考え方は面白いと思います。現代でも似たようなことはありますよね。

  • 2007/03/26(月) 01:30:27 |
  • URL |
  • it73 #-
  • [ 編集 ]

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