金枝篇とか

そろそろ月一くらいで更新します。 昔よんだ、誰もよまなそうな本の書評とか。

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初版金枝篇 第三章 第六節 オシリス

エジプトのオシリスは複数の神の特徴を持つし太陽神説が有力だけど、アドニスやアッティスと同じ種類の神(植物の神。死と再生の神)とするのが適切、とのことです。

以下の点が、新たに書かれたポイント。

・神話には後から哲学的解釈が追加されているから注意。
・ひとつの神が、時代を追うと複数の性格を持つことがる。中央の王は神々を統一しようとする事があり、地方の宗教的権力者は、中央と統合されつつも既得権保護のため伝統を残そうとすからだ。
・オシリス・アドニス・ディオニソスは同じ性質・似た儀式を持つためか、古代から、地域が違っても同一視されていた記録(証拠)がある。

今回の、キリスト教と関係あるっぽいところ。
オシリスは麦であらわされる(麦をたべる---神の肉体を食べる?)
オシリスはブドウの神でもあるんですね。(葡萄酒を飲む?)
ヨーロッパのメイポールに相当する柱が十字型だったりする。柱の中に神像を入れたりもする。



古代エジプトの大神オシリス。神々の長。一般には、冥界の王。
様々な神の属性を取り込んでいる。そのため性格や儀式は異質な要素の複合体。
オシリス神(を構成した神のうちのひとつ)は、アドニスやアッティスに類似した植物の化身である神と考えられる。死と復活が毎年祝われる。

オシリスの神話
・大地の神ケブの息子。
・食人種であったエジプト人を野蛮な状態から救い、法を授け、神々を崇拝することを教えた。
・妻は妹であるイシス。
・イシスが大麦と小麦を発見し、オシリスが麦の耕作を教え、人々が食人の風習をやめ麦を食するようになった。
・オシリスは世界中を旅し文明を広めた。
・旅から戻ると弟のセト(テュフォン)に棺に入れられ、棺を釘で打たれ鉛ではんだ付けされ、ナイル川に流され海まで流れた。
・イシスは遺体を喪に服し遺体を捜しシリア沿岸のビュブロスで棺を発見。棺は一本のエリカの木の幹の中に包み込まれていた。
・ビュブロスの王はこの木の見事な成長をたたえ切って王宮の柱にした。
・イシスはビュブロスの王に木の幹を切り開く許可を得て棺を取り出し持ち帰る。
・帰る途中、息子のホルスを訪ねる際に棺を置き去りにした。
・満月の明かりでイノシシ狩りをしていたテュフォン(セト)が棺を見つけた。
  説1.その後セトはオシリスの遺体と知り14に切り分けて各地にばら撒く。イシスはパピルスでできた船を帆走していた各地の沼地から遺体の断片を捜し、みつけるたびに埋葬した。このためエジプト各地にオシリスの墓があった。
  説2.イシスは、各地でオシリスが崇拝されるように、またテュフォン(セト)が死体を発見できなくするために、各地にオシリスの像を残し、像が遺体であると思わせようとした。
・息子ホルスはテュフォン(セト)との戦いに勝ちテュフォンを縛り上げたがテュフォンを渡されたイシスがテュフォンを解き放った。ホルスはこれに怒りイシスから王冠を取り上げた。しかしヘルメスがイシスに王冠の代わりに牛の頭の形をした兜を与えた。
・テュフォンはその後二つの先頭で敗北。ホルスの分断。イシスの斬首。
残っている記録は、プルタルコスとかギリシャ人のものらしい。

オシリスの死と埋葬が祝われる毎年の儀式はほとんど伝わっていない。
・アティルの月の第八日から第十二日までの五日間、弔いの儀式が続いた。
・儀式は「大地の耕し」から始まった。(ナイル川の水位が下がり始めたときに畑仕事が始まった)
・切り刻まれたオシリスの遺体の探索・発見の喜び
(三日目、棺が海まで運ばれる。棺の中には、飲み水が注がれた黄金の小箱がある。オシリスが発見されたという叫び声があがる。腐植土が水に混ぜあわされ、三日月型の像が作られる。これにローブを着せ装飾を施す。)
・厳かな埋葬(十一月十一日に行われた)。典礼書(近代発見された記録では、イシスとネフティスが発した言葉)から哀歌が朗誦された
・翌日はソカリス祭り。喜びに満ちた祭り。(メンフィスではオシリスはソカリスと呼ばれた。ソカリスは鷹の頭を持ち、夜の太陽と呼ばれる太陽神。神殿の周りを祭司達が厳かに行進)
・十一月十六日、すべての祭りはタトゥ(タート・デッド)の柱の設立で終わる。この柱は、頂上に横木を十字型に取り付けた円柱。この柱は帆桁(柱頭)のようなもの。テーベでは、王自身が家族や祭司とともに柱を支えている網を引く。後期エジプト神学では「オシリスの背骨」と解釈される。

祭りの、アドニス・アッティスの儀式との類似。
・早い死
・愛する女神による弔い
・崇拝者による毎年の祭り
オシリスの植物神としての性質
・人間に最初に麦を伝えた
・祭りが大地の耕しから始まる
・ブドウの栽培を教えた
・オシリスの遺体が麦の茎で表されている。(フィエラ(アスワンダムの北にある川の中の島)ではイシスの大神殿のオシリスのための部屋の壁画。
・遺体が切り刻まれ撒かれた→種まき?籾殻のふるいわけ?(オシリスの切断された四肢を麦のふるいの上におかれた)この伝説はヨーロッパの死神像と同じ生贄の名残?
  赤毛の男を焼き、その灰を唐箕で仰いで撒き散らしたという記録あり。(生贄の牛も赤毛。穀物の霊をあらわすのにふさわしいのは赤だった?)

樹木霊としての性格(穀物霊は、古くは樹木霊が敷衍されたもの)
・松の木を切り倒し中心をくりぬき、くりぬいた木材でオシリス像を作り木に埋め戻す。(遺体がエリカの木に包まれて発見されたことの再現?)
・柱が立てられる
・オシリスはエジプトイチジクとタマリスク・アカシアの木の中に住む(碑文あり)
・オシリスは一本の木もしくは複数の植物に覆われたミイラであらわされる
・オシリスの崇拝者は果樹を傷つけてはならない・井戸を塞ぐことが許されない

イシスの本来の意味は確定困難。穀物の女神と見ることができるはできる。
・大麦小麦の発見はイシスに帰せられる
・イシスの祭りでは穀物が行列をなして運ばれる
・収穫期には、最初に刈った雑草を下に置き、自らの胸をたたきイシスの名を呼びながら哀悼した。
・イシスの形容辞「緑の作物の創造主」「緑なるもの、その色は大地の緑のごとし」「パンの女支配者」。麦畑自体が人格化されている。「ソキト」「ソケト」(コプト語の畑)。ギリシアのエピグラムでは、「大地の実りを生んだ女」「麦穂の母」。賛歌では「肥えた耕地の小麦溢れる道の世話を託されたもの」

イシスは太陽神とされたが間違いだ
・ディオドロスの言はエジプトの宗教の起源に関する哲学的な回答。後世に作成されたと考える。
・マクロビウスは、ほとんどの神を太陽起源とした。しかしオシリスが太陽神である根拠は示していない。
・プルタルコスは、太陽神説に言及しているがこの説を認めていない。
・オシリスは太陽神ラーと同一視された。しかし、王が神々の統合を進め、地方の宗教的権力者が既得権保持のために古い神を残そうとしたであろう中、地方神は名前が異なるが同じ神とされた。水の神すら太陽神とされた。オシリスと太陽神ラーが同一視されたからといって、オシリス本来の性質が太陽神とはいえない。(アメンヘテップ四世が太陽神ラーのみを神とし、他の神々を記念碑から消した。)
・ティーレ「オシリスは太陽にたとえられている。」←喩えられるのは実際には太陽ではないため。むしろ太陽神ではない証拠である。「粗雑な顔が太陽をあらわす」←粗雑な顔自体が太陽である証拠にはならない。
・年に一度の死と復活の祭りが太陽をあらわす ← 年に一回なら穀物のほうが比喩としてふさわしい。毎日の出来事を毎年の祭りで扱うより、毎年の出来事を毎年の祭りで扱うほうがふさわしい。

オシリス・アドニス・アッティス・ディオニソス・デメテルは同じタイプの宗教。儀式は植物の死と再生の擬態。
・ビュプロスのアドニスの儀式を、オシリスの儀式と主張するビュプロスの人がいた
・ヘロドトスは、オシリスとディオニソスの儀式が著しくにているため、ディオニソスの儀式が単独で発生したのではない、エジプトから借り受けたと主張。
・プルタルコスは、オシリスの儀式とディオニソスの儀式の詳細な類似を力説

注釈によると、オシリスはどちらかというと太陽神というより月の神。
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