金枝篇とか

そろそろ月一くらいで更新します。 昔よんだ、誰もよまなそうな本の書評とか。

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含みを持たされた部分を考えてみる - 初版金枝篇まとめ①

 いやー、先々週あたりから金枝篇をまとめようとしてるんだけど、どう書けばいいのか難しいです。まとめると、含みを持たせたような部分がすべて割愛されそう。含みが無くなったら金枝篇らしくなくなる。困ったもんだ。

 というわけで、最初に、まとめると削られそうな含みを書いていきます。

 最初に、金枝篇の引用元について。
 金枝篇、少しでも読んだ人ならわかると思うんだけど、なんていうか、引用・つぎはぎの集大成です。カットアップとかマッシュアップみたいなものですかね。それこそ世界中の、古代から現代(19世紀まで)の事例を引用から成り立っています。この、「世界中」「古代から現代」の事例は、実際には3つに分けられるみたいです。
 一つ目は、イギリスからロシアまでの近現代ヨーロッパのフォークロア。キリスト教以前の形をとどめた儀礼や民間信仰・伝承が述べられているそうです。近現代と入っても、「文字が読めない人たちの伝承」が前提です。そういう人たちの数千年缶の変化は、文字が読める人たちの数世代の変化よりも少ないそうです。
 二つ目は、古代ギリシャ・ローマの文章。フレイザーは「アーリヤ民族」にこだわっている様に見えますが、古代ギリシャ・ローマの文献に書かれているのは、東側の地中海世界、エジプトやシリアや現トルコやギリシャです。原始キリスト教・初期のキリスト教が広る土壌となった世界ですかね。
 三つ目は、それ以外のすべてです。大航海時代以降の、宣教師・軍人・官吏・旅行者の記録。基本的には非キリスト教世界のはずです。
 つまり、三つの事例の全てが「非キリスト教世界」で、「非キリスト教世界」の事例を元に、「非キリスト教世界」であったローマ(ネミの森)の儀礼を説明しようとしています。

 次に、二章の終わりにある、「論文の結論」らしき文章について。
 以前のエントリ、初版金枝篇 第二章 第三節 王と司祭のタブー でも触れたけれども、金枝篇では、なぜか最終章、二章の終わりではなく、二章の終わりに結論らしきものがあります。その中の以下の文章は何を述べてるんですかね。
「結局のところ、われわれと蛮人との類似点は、相違点よりもはるかに多いのだ。そしてわれわれが蛮人と共通に抱いているもの、真実かつ有益なものとして我々が大切に保持しているものを、われわれはわれわれの蛮人の父祖たちに負っているのである。」「われわれはその概念を独創的で直感的なものとみなしがちなのである」「当面の所有者はこの遺産を、世の初めから自分の民族が所有していた、独創的で普遍なものとみなす。」(すべて、276ページ)
 「世の初めから自分の民族が所有」ってあたりを考えれば、「進化論的な考え方」「科学的な思考」ではないんでしょう、たぶん。
 「キリスト教のなかの話は、地中海世界やアーリア人、あるいは世界中にある概念と同じもの、引き継いだものだ」ってことを述べるために、これだけ遠まわしに慎重に記述している点が19世紀イギリスを考える上でのポイントですかね。

 最後に、「神話は儀礼よりも後に作られる」、というような意味の記述について。
 具体的に何回かかれているかは覚えていないけど、何回か書かれています。別の箇所では、「ワインは赤い液体であり血とみなす」だとか、「神の体を食べる」などの記述が、少々わざとらしいくらいに書かれています。先にアーリア人や地中海世界に広く分布する儀礼があって、その概念がキリスト教に入り込み、地中海世界はキリスト教によって統一された、ってところでしょうか。ちなみに「神話は儀礼から派生した」としたのはロバートソン・スミスっていう、フレイザーの同僚だか先輩だか上司だか、忘れたけど、そういう人です。初版金枝篇のあとがきによると、フレイザーより敬虔なキリスト教徒だったとか。穿った見方を知ると、「おいらはアンタの主張を継承させてるんだよ。安易な批判はしないでね!」って牽制したんですかね。

※なんか昨晩送信失敗して一部消えた。
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