金枝篇とか

そろそろ月一くらいで更新します。 昔よんだ、誰もよまなそうな本の書評とか。

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金枝 - 初版金枝篇まとめ⑥

 これで最後、『第四章 金枝』です。

金枝篇では最初に、「ミネの祭司職を生み出した動機を探る」ことを宣言し、フレイザーは答えなければならない問いとして二つの問いを提示しました。
ひとつめは、「祭司が前任者を殺したのはなぜか」
ふたつめは、「殺す前に黄金の枝を折り取ったのはなぜか」

一つ目は、四章冒頭の段階で「答えは出た。」と断言しています。前任者を殺した理由は、
 1.ネミの森の司祭は、森の霊・植物一般の霊を具現した存在。森や花や畑はネミの司祭の健康に連動する。彼が病気や老齢で死ねば、同時に植物界も死に絶えると考えられた。
 2.したがって、人間の姿をとった森の神は、まだ男盛りの神であるうちに殺され、聖なる命を後継者に移し、常に若さを更新し続けなければならない。このことで植物の生命力が滅び去ることなく継承される、安心と保障になるため、だそうです。

 第四章は、二つ目、金枝について探求しています。まずは「天と地の間であることの意味」を解き、次にバルドル神話を元に「在外の魂」について述べています。


 まず、「天と地の間」であること。以前に引用した天皇などの例を元に、強い力を備えたものが大地に触れたり陽光を浴びると、大地や天に多大な影響を与える、その結果、破滅に追いやる可能性があると考えられていた点を述べています。そして、天と地のいずれでもない場所、その中間に吊り下げておこうとしたとします。続いて蛮人は年頃の女性には超自然の力が備わっているため、大地に触れてはならない、太陽の光に当たってはならないとされたタブーを列挙しています。(月経の血に対し抱いている恐怖、と説明していますが、超自然の力を強調したり、女が太陽によって妊娠すると考えられた事例を述べたり、どちらかというと処女懐胎 の説明に見えましたが。)

 次に火祭りを元にバルドルの神話を説明しています。
 バルドルの神話は、『スカンジナビアの神、バルドルは、他のいかなるものでも傷をつけることができなかったが、ヤドリギだけは傷つけることができた。神ロキの策謀により、ヤドリギを投げられバルドルは殺された。死体は船に乗せ篝火で焼かれた。』というものだそうです。
 フレイザーによると、これはケルト人・ドイツ人・スカンジナビア人などアーリア人に伝わる儀式が生んだ神話、バルドルは儀式的神話だそうです。儀礼的神話とは、実際に行われた宗教的儀式に基づく神話で、その儀式を説明しようとするもの。儀式に関する説明の神話は、儀式過去の処理方法(神々や人間の活躍)を記念するものと説明されるそうです。先に儀式があって、そこから神話が生まれることです。 フレイザーはこの元となる儀礼を、アーリア人のオーク崇拝による儀礼とします。
 ヨーロッパ一帯には、キリスト教が広がる以前から篝火を焚き、その周りで踊り、篝火を飛び越える、主に夏至に行われる風習があったそうです。これらは人間や動物や植物に太陽の光が程よく当たるようにいのる陽光呪術、儀式は太陽を輝かせ穀物を生長させる呪術だったそうです、燃える車輪を転がす、燃えるタールの樽を柱にかけ巡回する、木の円盤に火をつけて飛ばす、など、太陽の模倣行為が行われました。
 像や人間型の藁人形、ヤナギ細工武装した巨人や生きた人間が焼かれたと考えられる事例があり、植物神である死神の追放で焼かれる死神との類似点が多数あるそうです。また、篝火の中からとった燃木を持ち帰ったり、灰を畑に撒くと豊作になる、火を飛び越えると多産になるなど、ご利益が樹木霊の属性です。
 これらで燃やされた木はオーク(ブナ科コナラ属の総称だそうです)で、オークによって火を熾し、オークを焼いたそうです。また、オークに生えるヤドリギは特に神聖なものとしたそうです。オークは、アーリヤ民族にとって神聖な木だったそうです。そしてバルドルはオークの神で、ヤドリギはバルドルの生命の中枢。オークが葉を落としてもヤドリギは緑の葉をつけている。ヤドリギが無傷でいる限り、オーク(バルドル)は傷つかない、が切られ投げつけられるとバルドルが死ぬ、と考えられたそうです。
 ヤドリギは、オークの外部に存在する生命だったそうです。

 あるものの生命がその外部に存在するというのは世界中に存在する話で、魂は箱の中など外部に保存する事ができ、魂が無傷でいる限り人間は安全だとする民話は世界中に存在するそうです。魂を外部に隠した魔術師や鬼の魂を見つけ壊すと、魔術師や鬼が死ぬような話、あるいは首に自分の魂の入った黄金の首飾りを巻いて生まれ、首飾りをはずすと死ぬといわれるインドの王女の話など、数多くあります。
 また、自分の生命が特定の樹木や植物と連動しているという考えは世界各地の習俗の中にも見られ、通過儀礼を行うことでトーテミズムによる魂の交換、死と復活・再生、過去の清算を行うような事例があるそうです(って、これは洗礼の説明じゃぁないんですかね…。魂を動物や植物などの外的な存在に永続的に預けておくことが可能だとする信仰があるそうです。ちなみにトーテミズムやその種の制度が未然に防ごうとする特別な危険は、制的に成熟するまでは起こらないもの、男女の性的関係に伴うもの、だそうです。)

 話を戻すと。金枝とはオークの魂だった。オークは天でも地でもない中間的で安全とされる場所に、ヤドリギとして自分の魂を置いた。バルドルとはオーク(の神)であり、自分の魂を折り取られぶつけられたために死んだ、といえるそうです。
 バルドルの例より、「森の王」は金枝の生えている木の化身であり、オークならば、オークの霊の化身といえる、金枝を取られることは魂をとられることである、と。
 フレイザーは、「森の王」は、かつて、夏の火祭りで焼かれたのではないかとも推測しています。
 太陽は、オークの炎から定期的に力を補充、太陽の炎がヤドリギから発散されたものではないか、金枝とは太陽の黄金色の炎であり、そのためウィルビリウスが太陽と混同された、と。

 結論、は、下巻の470ページに以下のように記載されていますとても簡潔です。むしろ結論の後の十行のほうが意味深です。
 『ローマ帝国の時代、および我々の時代の初期に至るまで、アーリア人による原始的な崇拝は、ガリアやプロイセンやスカンディナヴィアのオークの森においてと同じように、ネミの聖なる木立において、本来の姿をほちょんど留めたままで生き続けた。そして、「森の王」はアーリア人の至上の神の化身として生き、死に、その命はヤドリギ、すなわち「金枝」に宿るのであった。』

 最後の10行には、今でもネミの森は存在し、ディアナの神殿や森の王に変わって教会の鐘の音が響き渡っている、てような内容が書かれています。ちなみに初版の最後は「王は死んだ、王に栄えあれ」と宗教色の薄い締めくくりですが、簡約版では "Ave Maria!" (天使祝詞・アベマリア・聖母マリアの祈り)と、露骨にキリスト教で結んでいます。
(2006/7/21 補足: 「王は死んだ、王に栄えあれ! (Le Roi Est Mort, Vive Le Roi!) (The King is dead. Long live the King!)」は、イギリスで王位継承の際に宣言される言葉だそうです。ネミの森の王は死に、王位は引き継がれた、と。)


 最後に補講として、「初収穫の奉納」という講があります。当初聖餐として扱われていた初物が、神への奉納物という特別なものとして扱われた事例を記述し、初版金枝篇を終えています。



金枝篇を読む前に知っておくといいかもしれないキリスト教の知識
含みを持たされた部分を考えてみる - 初版金枝篇まとめ①
ネミの森の風習について - 初版金枝篇まとめ②
『森の王』について - 初版金枝篇まとめ③
王とタブーについて - 初版金枝篇まとめ④
神殺し - 初版金枝篇まとめ⑤


おしまい。あーつかれた。もっと楽かと思ったら、手間がかかる割にはまとめづらかった。
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